チャプレン室よりメッセージ
10月のみことば
ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。(コヘレトの言葉4章9節)
「イエス」というお名前は「インマヌエル(神と共に)」という意味があると聖書は教えています。このイエス様の存在の意味からして、聖書は私たち同士で苦労を分かち合って対処しろと言っているのではないことが分かります。
世の中は「自己責任」という言葉をはじめ「自己〇〇」という言葉が流行し、自分で何とかして生きなさいという風潮が蔓延しています。このような世で生きねばならない中あってキリスト教は、「そうではないよ。あなたという存在を自分よりも大切にし、愛し抜いてくださっている方が共に居て下さるよ」と伝えます。そして、その方はあなたの労苦、痛みを担い軽くして下さっているよ。さらに喜びにはさらに大きな喜びを加えて下さるよとも伝えています。
この神様が共に生きてくださっているからこそ私たちは他者の労苦を共に担い、分かち合っていく幸いが与えられているのです。そして、喜びを自己保存するのではなく分かち合い、共に喜ぶことができるのです。子どもたちは運動会に向けて一生懸命練習しています。「できた!」という喜びを分かち合い、「もう少しだよ、頑張ろう!」と労苦を分かち合う神の子として活き活きと幼稚園で生活する姿がそこにあります。
この豊かで、喜ばしい関わりを結んでくださっているのは共に生きてくださっているのは神様に他なりません。そんな神様の心を感じながら子どもたちは日々成長し、喜びと共に生きています。
7月のみことば
隣人を自分のように愛しなさい。(マルコによる福音書12章31節)
「愛する」ということは、「愛されている」ということが分からなければ「愛する」ことはできません。
そして聖書には「神は愛なり」とあります。つまり、愛するということは、この愛それ自身である神様が私たち一人一人の内に宿ってくださっているから「愛する」ことができるようになるのです。愛は感情ではないのです。
では、神様の愛の実践とは何か。それは、イエス様を通して示されています。イエス様はご生涯を通じて、社会的に弱くされていた人々と徹底的に共に生きて、その人の存在をどのような状態、地位、人種であれ大切にし、慈しみ、励まし、力づけてくださいました。神様からの善いものを受け取るためには資格が必要と考えられていた時に、イエス様は「そうではない。神様の思いは全ての人が神様の善いものを受け取って安心して活き活きと生きることこそが大切だ」と伝えてくださったのです。
いま、世界ではあちらこちらで分断が起こっています。戦争、紛争、貧困、格差などが蔓延しています。そのような中で真生幼稚園では、神様が私を愛してくださったように、私も人を愛し、大切にする心を育んでいけるようにと祈り、求めながら教職員は教育にあたり、子どもたちは愛である神様を心にとめ、毎日神様の言葉と共に生活しています。
神様を思う時、神様の言葉を聴く時、そこに愛が生じ、神様が愛する人へと成長させてくださるのです。
4月のみことば
新しい歌を主に向かって歌え。(詩編96編1節)
新年度が始まりました。この1年で子どもたちはたくさんの出来事、人との出会いが待ち受けていることでしょう。
その一つ一つは、神様が子どもたちの成長に必要な恵み(=善いもの)として与えられています。
楽しいこと、苦しいこと、悲しいことなどそれは様々です。でも一つとして無駄なことはありません。その一つ一つの出来事を通して神様との出会いが与えられています。
この神様との出会いが子どもたち一人一人の心身を育み、自分、家族、友だちを大切にする心とたくましい身体が養われていくのです。成長させてくださるのは神様です。
この神様の養いによって世界が神様の恵みであふれている眼と心が育てられます。だから心配する必要ないのです。私たちは誰であっても神様によって守られているからです。
だからこそ感謝を込めて神様に「ありがとうございます」「助けてください」「力を与えてください」時に「悲しいです」「辛いです」「どうしたらいいか分かりません」という祈りが与えられるのです。
すべてのことに意味が与えられていることに子どもであっても豊かに受け取るに違いありません。子どもたちと世界が神様の恵みに溢れている喜びを分かち合う、そんな1年にしたいのです。
1月のみことば
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。(ヨハネ福音書15章5節)
現代社会にあって「繋がり」ということを考えてみますと、SNSのフォロワー数などが取り上げることができるでしょう。たくさんのフォロワーが居るかということはステータスのようです。しかしコロナ禍を経験して孤独を抱える人が増えたと聞きます。
人間は当然ながら独りでは生きていけません。必ず嫌でも誰かと繋がって生きています。けれども現代社会にあって多くの繋がりがあることによってむしろ孤独が広がっているのは本末転倒です。その中で聖書は、多様な社会の中で生きる上で一つの繋がりで十分だと語ります。
それはイエス様との繋がりです。しかもイエス様ご自身がこちらが嫌でも、手をほどこうとしても、振り払おうとしても手を取って繋がって下さり、たくさんの喜びと恵み、生きる力を与えると聖書は語ります。そして、この繋がりが周囲の人を大切にする心を養い育て、与えられている繋がりを大切にする心が養われているのです。
子どもたちこそが日々この体現者としてイエス様との繋がりを生きていると真に思うのです。
チャプレン室よりメッセージ
こちらにはチャプレン室からのメッセージを更新してく予定です。